受験で成功している先輩たちが、「良い講師」と判断する基準は、単純なことです。「わかりやすい」ことなのです。「わかる先生」と「わからない自分」の距離をしっかり認識し、それを綿密に埋めてくれるような先生が「良い講師」なのです。しかし、「わからない」程度には個人差があります。Aさんと先生の距離は縮まっても、Bくんと先生の理解のあいだには、依然として距離があるばあい、Aさんにとっては「良い講師」でありえても、Bくんにとっては、「悪い講師」となるのです。講師の評価が、受講生の質によって異なるのは、ここに原因があります。また、一コマの授業のなかで、より多くの生徒たちとの距離を縮め。琴線にふれる話でも加われば、たちまち「人気講師」となります。しかし、予備校・塾の事情を知るには、実際にかよってみる必要があります。また、自分と講師の理解のレベルの差も、実際に授業に出てみなければわかりません。
分教室の室長の力量で、その教室の質の善し悪しが決まるので、きちんとした分教室かどうかを見分けるには、直接そこの責任者(室長であることがほとんど)と面談して、いろいろ質問してみるべきである。大手塾の場合は、一クラスの人数が二十人以上のところが多いので、子どもがちゃんとついていけるかどうか、パンフレットや説明会などでチェックする必要がある。人数が多ければ、能力別にクラス分けを細かくやらないと、よほどしっかりしたノウハウを持っているところを除いて、満足のいく結果は得られない。塾によっては、生徒が多人数でもアシスタントをつけていたり、遅れ気味の場合は特別に復習をやってくれるところもある(無料と有料のところがある)。病気などで休んだ場合には、その分遅れないようなシステムをとっているところもある。
雑学を身につける程度の本を読むのは別にして、独学で高等専門書を読破することは簡単ではありません。やはり、指導教官の下で基礎からきちんと勉強することが必要です。そこまでして勉強し、身につけた実力が、真に社会で役に立つのです。本を書き、有料の講演をする人は、ほとんどが専門書を読破する能力を持ち合わせています。学術に限らず料理、書、絵画の世界であろうと、専門書を読破する力がなければ、プロとして成功は難しい。逆な言い方をすれば、専門書を読破できない人は、永遠にアマチュアの域から出ることができないでしょう。もちろん、独学で専門書を読破する力を身につける人は存在します。しかし、努力の陰には、貴重な時間が余分に費やされているのが現実、と推察します。効率の面から考えれば、大学に進学し、ゼミなどで指導教官につけば、最短距離を歩むことができるのです。なによりも、将来に役立つ人脈を構築することもできます。総合的に勘案すれば「事情が許すかぎり大学に進学すべき」というのが、私の持論であり結論です。実力社会だから学歴無用と考えるのはあまりにも短絡すぎます。もう一度、受験の意義を真剣に考えて、大学で本当に役立つ総合能力や専門能力を磨くべきではないでしょうか。